西本あつしさんは1958年第4回原水爆禁止世界大会に際し、広島から東京までの行進を提唱し、実践した。最初は一人で広島から歩き始め、東京につく頃には賛同と歓迎の人波が何万人にも膨れ上がった平和行進の提唱者です。
 日本山妙法寺の僧侶として、恩賀や妙義の米軍基地反対闘争などの平和運動のリーダとして活動、旧東村の保健婦をしていた鈴木多美恵さんと結婚、わずか2か月で泥酔運転の車にひかれて36歳で他界しました。墓地は国定忠治の墓のある国定の養寿寺にあります。
 4月29日生誕100年祭として墓前祭が行われ、県内ばかりでなく全国各地からたくさんの人が集まり線香をあげ「西本さんの意思を引き継ぎ平和な世界を」と誓いあいました。
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